鉄の物流のプロフェッショナル丸吉運輸機工株式会社

鉄の物流、マネジメントなら鐵人(てつじん)集団、丸吉運輸機工へ。東日本を網羅する北海道、東北、関東の各拠点と、特殊シャーシやコンテナを使った幅広い輸送網でお客様のニーズにお応えします。

歴史・事業承継

歴史・事業承継

受け継いだものと変えていく力:相談役 吉谷 隆 × 代表取締役 吉谷 隆昭

チャンスだと思った北海道転勤。
そして見知らぬ土地での独立、創業。

吉谷隆昭 代表取締役
(以下代表取締役)
創業当時を振り返っていただけますか。
吉谷隆 相談役
(以下相談役)
生まれたのは山口県の萩市です。高校を卒業して大阪へ出て、船会社に就職しました。
それから縁があって北海道エリア担当になり、「チャンスだ」と思いましたね。なぜなら、大阪は古い街。若い人間にチャンスはやって来づらいと感じていたからです。でも当時の北海道転勤は、皆様嫌がったようですがね(笑)。
私は小学校のときに父親を亡くしているものですから、なんとか自分が頑張らないと一家共々路頭に迷うことになる。ずっとチャンスを伺っていました。

北海道転勤から3~4年が経った28歳のとき、思いもよらぬ出来事がありました。当時とある鉄鋼関連のお客様が北海道に工場を建てるという話を耳にしたのです。私はすぐ連絡を取り、「そこを自分に任せてくれないだろうか」と打診しました。最初は全く取り合ってもらえませんでした。

お客様が行なう予定だった、「倉庫の鋼材を現場へ運ぶ」という一連の業務ですが、当時も今と同様、倉庫運営と運送は別会社が担当するというのが主流でした。しかしその仕組みにはリスクが伴います。互いの関係性に利害が発生し、トラブルが起きるのです。私はその仕組みを常に疑問に思っていました。

それを一元管理するから、どうか自分に任せてみてほしい―――。そうお客様のトップに言い続けました。しかしいくら大手といえどそんな事例は本州においても例が無い。ましてやどこの馬の骨ともわからぬ若造ですからね。
けれど3か月ほど経ったある日のこと。
「吉谷は若いけども発想は面白い。任せてみてはどうか」というお話をいただきました。
そこから急転直下、なんとか苦労して人と資本金をかき集め、先方の事務所を間借りする形で独立することになったわけです。昭和48年のことです。

北海道が厳しいと改めて思ったのは、過酷な積雪でした。冬の物流は全く仕事にならない。通常、北海道のそういった労働者は、冬季は失業保険をもらって休むのが一般的でした。
でも私は大阪から来た人間。何もわからなかったので「できない」という発想がなく、なんとか冬でも仕事をする方法を社員たちと共に考え出しましたよ。ジェットヒーターで凍った土を溶かしたり、水に浸けたり、あの頃は何でもやりました。逆になにもわからないから、そもそも「できない」という発想が無いわけです。今思えばこれは大きな武器でしたね。

常識に捉われず、独自の存在を築く

代表取締役
丸吉の「型にはまらない文化」の原点かもしれませんね。
相談役
お客様の倉庫運営と運送を一体となって行うことは、当時としては普通の考え方ではなかったですね。今でこそ丸吉が提唱する倉庫運営マネジメントの原型ではあるものの、まだまだあの頃はスタンダードではなかった。
ただ、北海道で生き抜いていく厳しさを考えれば、こちらも必死。その部分ではお客様も非常にご理解、ご配慮いただいていました。
その後時代の流れもあり、いろいろな変化や厳しい時期を経て平成14年、丸吉にとってまた大きな転機がありました。
代表取締役
ちょうど私が入社した時期ですから、いろいろ思い出します。たまたま別のお客様から苫小牧の倉庫管理の話をいただいて、私が長としてマネジメントを担当することになりました。あのタイミングは私としても転機でした。
一頃、北海道のマーケットは半分くらいまで落ち込んだ時期もありましたからね。
相談役
運送だけでは厳しかったでしょうね。しかし私たちはそれに縛られず、物流のプロとして鉄に詳しい人間を育てようと決めた。そこが他社との違いでした。運送会社は、物を運ぶプロだけども、鉄に詳しいわけではない。それだけではいけないのです。
代表取締役
鉄を運ぶだけではなく、管理や加工まで行っていることは非常に強みになっていますね。

受け継いだ最大の財産は
「信頼」と「人」

相談役
それからも会社はいろいろありましたが、大きな時代の変化を感じ、代表を譲る決意をしました。
代表取締役
「私のやってきたことを全て否定しても良いから、会社を変えてくれ」と言われましたね。
相談役
急激に時代は転換期を迎え、特に大手においてはコンプライアンス等の面においても著しい変化がありました。私の古い考えではとうてい及ばない時代になった。そう感じました。
代表取締役
実際は、まだまだできたはずでは?
相談役
もちろんやってできないことはありません。未だに体も健康ですし。
ただ自分の経営の経験が長すぎるということは、必ず次の世代に悪い影響を及ぼすと思っていましたから。
私が居座ると必ず二頭政治になる。それは避けなければならない。そういう意味ではきっぱり決断しましたね。事業承継をいかにスムーズに行うかというのは、どの企業においても課題です。みんな形が異なり、一つとして同じストーリーはないと言っても良いでしょう。
代表取締役
そういう意味では準備を含め、非常に考えていただきました。
相談役が開拓した関東も形を変えて引き継ぎましたが、今思えば私もその過程で「運輸業の常識に捉われない決断」がありました。創業当初に相談役が根拠のない自信を持って突き進んだのと同じように。
私の変化、決断を信じてついてきてくれた社員が、今会社を支えてくれる方々です。
思い出すと怖くなりますが(笑)、「変化」や「枠を決めない」というのは、丸吉のDNAなのかもしれません。
本州から見知らぬ土地に渡ってきた開拓者の精神が、丸吉の根底にある気がします。
相談役
私も創業当時の従業員をはじめ、多くの人に助けられました。我々の商売はトラックがあっても人がいなければ成り立たないわけで。収益を上げることも大事だけども、人も大切にしなければなりません。経営理念もそこから来ています。
現社長もしっかり受け継いで、子供たちとの触れ合いを含め社会への貢献も考えてくれているのはありがたいです。
代表取締役
実際、触れ合いを通して我々が学ばせていただくことがとても多いですからね。いつも新鮮ですし、ずっと続けて行きたいです。
相談役
従業員への配慮や労務環境の改善にも目を向けてきたつもりです。ありがたいことに、「丸吉で働きたい」と入ってきたドライバーさんも多いです。技術的なことや安全管理の面でも、シニアやベテランの方々の厳しい指導、人材教育無くして成り立ちません。安全管理は物流業界での信頼とイコールですから。
彼らがいかに活躍できるかというのも、常に考えていかなければいけない課題です。
これからの丸吉の成長を期待していますよ。
代表取締役
人材と信頼は受け継いだ最大の財産です。どこに行ってもお客様に良く言っていただけますし、その基盤があるから変化し続けられるわけですからね。本当に感謝しています。
ありがとうございました。